F1も初回からおよそ70年。
来年2020年が節目の70周年になります。
70年の間には歴史に名を遺す名車、名ドライバー、名勝負等々沢山あります。
今回はそんな輝かしい記録………ではなくて、クスッっと笑える記録、ちょっと情けない記録、
恥ずかしい記録等々珍記録についていくつかまとめてみました。
F1マシンを操縦するのは人間です。
間違ったりミスしたりするんです。
野外で行うのでお天気にも翻弄されるんです。
1レース最長時間になった2011年カナダグランプリ
もうすぐ開催されるF1のカナダグランプリで使われるジル・ヴィルヌーヴ・サーキットは、もともとモントリオール五輪で使用された漕艇場の公園内ある。 pic.twitter.com/waNlCi5O07
— ボート画像&雑学 (@boat_gazou) June 5, 2015
まずは2011年のカナダグランプリです。
先ほどの規定からすると1レースの時間の最長は2時間ですが、この年のレースはF1歴史上最長時間を記録し4時間4分39.537秒掛かる結果になってしまいました。
何故、倍ほどの時間を要する事になったのでしょうか?
まずレース当日は雨が降っておりました。
この雨がレースが始まる頃には大雨に。
安全を考慮してセーフティカーの先導によるスタートになりました。(ゆっくり走りながら追い越し禁止の状態です。)
セーフティカーが抜けた後、接触事故が発生。
再度セーフティカーがコースに入ります。
12周目から再スタートしますが雨が激しくなり安全の為、20周目にセーフティカー出動。
雨は激しくなるばかりで25周まで先導状態で走った後についにレース中断。
その後中断を2時間挟みレース再開されます。
幸いその後に雨は止んでなんとかレースは終了しました。
このレースでは他にもセーフティカー最多回数(6回)も記録されました。
この年はまだフジTVの地上波でF1中継があった時代です。
さらにアメリカ大陸で行われるレースは毎年生放送でした。
そもそものTV放送開始時刻が日本時間午前2時頃で普通に何事もなく無事に終わったとしても終了は午前4時過ぎ。
そんな視聴者も大変な時刻の生放送です。
結果4時間超えになったのでレースが終わったのが午前6時頃。
ですが地上波放送は午前4時30頃に地方ごとの差はあれど全てレース途中で終了。
いつもの早朝番組がTVからは流れたそうです。
後日CS放送で完全版は放送されたそうですが、地上波で放送されずという結果に。
リタイア率最大のレース1996年モナコグランプリ
あと
1972年:ジャンーピエール・ベルトワーズ
1996年:オリビエ・パニス
2004年:ヤルノ・トゥルーリこの3名はF1初優勝と、キャリア唯一の勝利が
モナコグランプリであった。 pic.twitter.com/fjeWpI32Dx— ますぞー(Masuzoh) (@Masuzoh_twt) May 24, 2019
次は1996年のモナコグランプリです。
この年は参加11チーム、22台のマシンでレースが行われました。
レース前の練習走行中に1台がクラッシュ。
決勝を走る台数は1台減って21台となりました。
決勝当日は午前中の雨で路面は濡れている状態だったので、ヨス・フェルスタッペンのみドライタイヤを装着。
他のドライバーは全員レインタイヤを装着していました。
このまま雨が降らなければ路面は乾いてレインタイヤからドライタイヤに変える必要がある為、自分以外のライバルはピットストップする事になります。
それを見越しての賭けに出たのがフェルスタッペンの作戦です。
(自分だけピットに入らずに走れる為。もちろん雨が振ったら大失敗ですが。)
そんな状態でレーススタートします。
1周目ギャンブルに出たフェルスタッペンが第1コーナーでスピンしてクラッシュ。
最初のリタイアとなります。
さらに2位を走行していた前年チャンプのミハエル・シューマッハもスリップを起こしてクラッシュの後リタイア。
さらにスピンや他車との接触等で1周目で5台のマシンがリタイア。
10周目までに片山右京、リカルド・ロセットがクラッシュ。
ゲルハルト・ベルガーがマシントラブルでリタイア。
その後コースが乾いてきたことにより、30周前後に各車ドライタイヤに交換の為、ピットに入ります。
ここまで既に9台がリタイアしていました。
41周目にはTOPを独走していたデイモン・ヒルがエンジンブローでリタイア。
次いでTOPになったジャン・アレジも61周目にトラブルでリタイア。
ここでまた雨が降り始めます。
まだ終わりません。
67周目には5位を走っていたジャック・ヴィルヌーヴが6周遅れのルカ・バドエルと接触して両車ともリタイア。
これでコースを走っているのは7台になりました。
通常78周を走るモナコGPですが、雨による速度の低下と度重なるトラブルの発生で2時間経過(75周)でレース終了になる事が決定されました。
71周目にエディ・アーバインがスピン。体制を立て直すため再度スピンターンしたところにミカ・サロとミカ・ハッキネンのマシンが玉突き事故。
3台がリタイア。
残り2周となった時、ハインツ=ハラルド・フィレンツェンもピットに戻るもコースに戻れずリタイア。
結局75周を走り切れたのはわずか3台という結果に。
レース周回の90%を走行した選手も完走扱いになるので、リタイアした内の4人が完走扱いになり7人が完走と公式には記録されました。
この時優勝したのはオリビエ・パニスで彼のF1キャリアで唯一の優勝となったのがこのモナコGPになりました。
アクシデントが無ければ、ほぼ優勝する可能性が無いチームとドライバーが優勝するという大波乱のレースでした。
最初はみんな新人でミスする事もあるんです。</2>
ガスリーが2位表彰台に登ってくれたことによりトロロッソはF1で1-2-3を達成した
1位セバスチャン・ベッテル(2008)
2位ピエール・ガスリー(2019)
3位ダニール・クビアト(2019) pic.twitter.com/01Cml9DRPQ
— よしき (@hts004) November 19, 2019
史上最年少優勝、史上最年少ワールドチャンピオン等F1の最年少記録を次々に塗り替え現在はTOPドライバーの一人で既にベテランになりつつもあるセバスチャン・ベッテル。
彼のF1デビューは2007年ですが、その前年2006年の8月からBMWザウバーチームのサードドライバー兼テストドライバーに抜擢されました。
F1では2名のレギュラードライバーの他に控え選手となるサードドライバーや、レース本番以外のテスト走行時でマシンを操縦するテストドライバーが存在しています。
その為ベッテルもチームの一員としてチームに帯同して世界各地を回ります。
2006年のトルコグランプリ金曜日のプラクティス(練習走行)にテストドライバーとしての仕事がベッテルのF1キャリアのスタートになります。
ピットからコースに出るためにマシンを走らせます。
そして、9秒後ピットレーン速度超過でペナルティを課せられました。
史上最年少記録を数々塗り替えた彼の記録の中に、『F1キャリア最速のペナルティ獲得』の記録が追加された瞬間でした。
壊し屋と呼ばれた男
アンドレア・デ・チェザリス
F1 ‘80〜’94壊し屋、通り魔、犬も歩けばチェザリスに当たるなど散々な呼び名
だがキャリア終盤にリアル、ジョーダン等で見せた走りはお見事。
サーキットにおいて数々の事故から生還してきた彼だったが、’14年に公道での事故で亡くなった。R.I.P.#f1#壊し屋 pic.twitter.com/oqUzlYJgF8
— 丸に鷹の羽レーシング (@ka_zoo7620) September 28, 2019
80年~90年代のF1を見ていた方は彼の名前を憶えている人は多いかも知れません。
アンドレア・デ・チェザリスは1980年から1994年まで活躍した選手で15年間で延べ12チームにも在籍しました。
彼の記録ですが、F1ドライバーとしては不名誉な記録で名を残しています。
リタイア数最多:148回、連続リタイア数最多:22回、シーズン中リタイア数最多:16回
リタイアに関する記録の3冠王になってしまっています。
マシンを壊してのリタイアが多かった事から他のドライバー達から「壊し屋」「クラッシャリス」と呼ばれていたそうです。
F1ドライバーで一番やってはいけない事はマシンを壊してしまう事です。
もちろん故意に壊してる人は誰もいません。
F1マシンは市販車では無いので全ての部品・パーツは特注品です。
お金も掛かるし、修理にも時間が掛かります。
マシンが壊れればレースそのものに参加できません。
チェザリスももちろん故意ではなかったと思いますが、壊し過ぎた為、1981年マクラーレン在籍時と1985年リジェ在籍時にオーナーの逆鱗に触れ解雇されています。
また80年代は他人を巻き込むクラッシュが多く、他のドライバーがチェザリスを抜こうとすると何かしたのトラブルに巻き込まれるため、「走る障害物」と言われ他のドライバーから恐れられていたとか。
1991年には在籍したジョーダンチームの契約時に「マシンを壊したら罰金」との個別契約を結ばされたそうです。
ただ彼が在籍したチームの多くはあまり強くないどちらかと言えば下位のチームが多かったため、マシントラブルでリタイアになる事も多かった様です。
ですので記録の全てがマシンを壊した事でのリタイアではありません。
それでも他のドライバーよりも多かったのも事実ですが。
当時もフジTVでF1中継されていましたが、実況をしていた古館伊知郎氏には
「サーキットの通り魔」「犬も歩けばチェザリスに当たる」と不名誉なあだ名も付けられたりしました。
不名誉な記録で有名になってしまったチェザリスですが、90年代は自身によるリタイアは少なくなり下位チームの中でも入賞を果たしてポイントを獲得したりと堅実な走りを見せていました。
まとめ
今回は珍記録の内、レース2つとドライバー2名を厳選して紹介しました。
プロ野球の様に番組があるわけでは無いので、調べてみないと分からないことばかりでしたが、面白い内容も沢山ありました。
どんなに強いF1ドライバーでも同じ人間で失敗エピソードがあり我々と一緒なんだなと安心しました。